2013年2月2日土曜日

ブラさんと僕

去年のまだあまり寒くない季節、
 いや、けっこう暑くて、しかし今日も脇くっせーなーと思っていた時期

 出勤前に車でタバコをふかしながらTwitterを見ていると、気になるtweetが目に入った。

「Blankey jet cityドキュメンタリー映画公開!!」

 ウソだろって思った。

だって10年前に解散してるし、そもそもなんで今?

疑問しかなくて半信半疑どころか全く信用していなかった。

でもなんの巡り合わせか、今日この作品を見てきた。

「Vaanishing Point」

解散発表後のラストツアーのドキュメンタリームービー。


僕がBlankey Jet Cityを知ったのは15年前、中学の時だ。

当時、20471120やMilk Boy等のドメスティックモードが流行していた。
Smartが創刊されたのもこの年だ。
そして、たしか創刊号の表紙がギターの浅井健一だった。 ファッションや音楽にませていた友達とその話をしているとCDもってるんで貸してくれると言うのだ。 そんで数枚貸してくれたんだけど、最初に目にしたアートワークに度肝をぬかれた。
・・・

・・・

こんなの女子に見られたら、ホモか変態だと思われて次の日からシカトされて
あいつマジきもいとか授業中に手紙まわされちゃうじゃん!!

先生に見られたら、親よばれて

「最近お子さん情緒が不安定ですが家庭で何か問題でもあるんですか?」って即三者面談になっちゃうじゃん!!

 内申書には不穏分子だと書かれてどこの高校にも行けずに、中学でたら就職するんだと、泣きながら家に帰ってコソッとヘッドフォンで聞いてみる。

・・・

・・・

 なんだか良くわからない

・・・・

最初ロックなんてそんなもんでしょ。

でもとにかく歌詞が耳に心に残った。

 「寝る前にブルーのジェット機に乗る夢を見たいと願う」

「俺の憧れアラスカ帰りのチェーンソー」

「魅力的なお前のその白い足にミートソースをぶっかける」

「消えてくれないか俺の前から今すぐ、死ぬほどお前を愛しているから」

 とにかく今まで聞いたこともない歌詞がばっかりで、

毎日学校で あの歌の歌詞がヤバイとか、あれはこう言う事だろうとか

昨日の27時間テレビで上原多香子ちゃんの胸元がガッツリ見えたとか とにかくそんな話ばっかりしていた。

今でもブランキーの話をすると歌詞の話によくなる。

まるで映画の字幕を読んでいるような。

デビュー当時は歌詞がロックっぽくないとかでよく批判されたらしいが昔インタビューで「音楽は自由だから歌いたいように歌えばいんじゃん、歌詞に意味なんてないよ。思いつた事を書いてるだけ」って言ってて深く感銘した記憶がある。

意味なんていらないよね。

聞いた人が勝手に意味を付けるしそれが真実だし。

しばらくするとがっつりブランキーにハマっていた。

音楽、ルックス、歌詞、アートワーク、すべが震えるくらいカッコよかった。

24時間考えていたし、授業中はひたすらノートに歌詞を書き写していた。

初めて音楽に心からハマってしまったのだ。

誰かにはそれがビートルズかもしれないし、ブルーハーツかもしれないけど僕にはブランキーだった。

アルバムも買ったり、レンタルしてすべて聞いたしテレビに出るときはすべて録画していた。

衝動が生まれた。

弾いてみたい。猛烈にギターが弾きたくなったのだ。

 メインで使っていた赤のグレッチ、テネシーローズが死ぬほどカッコよかった。

 まーまーの人が中学生ぐらいでギターを始める確率が高いが僕もその統計の%にカウントされる事になる。

買ったのだギターを、中坊の資金源、お年玉で。

グレッチなんて高すぎて今でも買えないから、少しでも形の似ているグレコのセミアコを選んだ。 十五年たっているけど今でも使っている。

ブランキーの曲はとにかく難しいから簡単なワンフレーズを永遠と繰り返し繰り返し弾いては悦にひたる。

そんな日々を贈る中で新譜がリリースされる。

 「ロメオの心臓」 またブランキーらしいタイトルだ。 新譜がリリースされるとツアーが組まれる。 あぁ・・・行きたい・・・ 行動力のあるツレが親に頼んでチケットをとってくれた、中ニの春か夏か秋に生まれて始めて音楽のliveにくことになった。

これは大事件だ。

なんせ生まれて始めてliveに行くんだ。 日比谷野外音楽堂 鮮明に覚えている。 何を着ていったか、電車でどんな話をしたか、何処に寄ったか、何を食べたか。帰りに土砂降りにあってびしょびしょで帰ったとか。 でもliveは全然覚えていない。 何の曲をやったのだろうか。 でも紫のスモークの中で演奏している三人の姿だけは強烈に覚えている。

カッコよかった。

本当にかっこっよかった。

あの衝動は全く色あせていない。


残念ながら生でブランキーを見たのはこれが最初で最後だった。 今でも生でLiveを見た事は誇りだし自慢だ。 僕の世代ではほとんど生で見た人はいないのだ。

 これだけハマっても流行に敏感な年頃で高校にはいったころからだんだん聞かなくなっていた。 新しく知った、hip hopとかメロコアにハマっていったのだ。なんとなく世間、いや身内、いや自分の中でロックはもうダサいと思っていったのだ。 ピチピチのデニムにdrマーチンをはいていたのがいつの間にかオーバーサイズの服をきてキャップが斜めになっていた。 それでもこっそりブランキーは聞いていたのだ。

たしか高2の春か晩冬だったと思う。バイトの休憩中、社員が休憩中に向かいで新聞を読んでいた。 ふと目をやると見開き1ページでデカデカと 「解散」の文字が目に入った。 ブランキーは新聞広告で解散を発表したのだ。

その頃は、僕はやってきたぞ山嵐登場、片っ端からなぎ倒していたのでブランキーはほとんど聞いていなく、特別な感情はそれほど無かった。 無論ラストツアーに行くようなモチベーションも無かったのだ。 惜しまれつつも、僕の中ではひっそりと解散していったのだ。

20歳を超えたくらいからまた聴き始めていた。きっかけは覚えてない、多分なんとなくだ。 人並みの色々な経験をして改めてきいた曲は詞は信じられない位素晴らしかった。

blankey市長が率いるjet city、その中で起こる様々な物語。

自由を求めた。

少年の心を求めた。

憧れの自分を求めた。

みんなjet cityの住人なのだ。 スクリーンの中で久しぶりに三人に会った。

何度も鳥肌がたった。 鳥肌はウソをつかない。

2012年2月7日火曜日

雲竜渓谷

冬はキライだった。

雪もキライだった。

寒いし。

一年中常夏で全然ok!ピーヒャラしちゃおうぜ!
が口癖、夏のお天道様至上主義者だった。
それは今でも変わっていない。


今年は雪に戯れる機会が多い。
意識してないようで意識してたり、ノリとタイミングがいいあんばいなのだ。


雲竜渓谷


数年前から良く聞く名前。


美しい光景が見れるらしい。
行動するには十分な情報だ。


そこは僕のモノラルな想像を遥かにこえる代物だった。
カスタマーサティスファクション。顧客満足とはこの事だ。













こんな光景が飛び込んでくるから僕のポンコツな頭と心じゃ処理しきれなく、
足は振るえ出し、よだれを垂れ流し、失禁して、今までの罪を仏様に懺悔し始める。


あぁ仏様、今日もTUTAYAにビデオ返しに行くの忘れました。


あぁ仏様、銭湯でおしっこしてごめんなさい。


あぁ仏様、そのパンツの忘れ物ホントは僕です。


仏様は安らかな笑顔で

「お前みたいな低額納税者はこんな所来てないで働けカス!」

とありがたいお言葉を残して去って行かれました。



そんな精神世界にも似た美しいあの現実世界はありのまま、むき出しの自然で
山奥ひっそりと暮らしているのです。




南無。

2012年1月1日日曜日

インド旅行記3

気づけばもうすう数ヶ月前の出来事。

冬の忙しい日々の中で薄れていく事が多いけど振り返ると確かに
無秩序で不衛生なあの場所ににいたんだ。

炎天下のなか、あらゆるゴミと牛のクソが散乱する狭い路地をふらつき
悪臭に嗚咽が止まらなくなり、舞い上がる埃にに鼻、喉、目はイカレテ
止めどなくやってくるトラブルにうんざりしながら、たまにやってくる
いい出会い、笑っちまう事、想像をこえちまう出来事にハートがビートする。



いい意味でも悪い意味でもむき出しな世界。



すべての人が枠からはみ出しまっくってる。


どんどんはみ出して行こう。
それが一番インドから教わった事。


インドが好きか嫌いかって聞かれたら大好きです。

2011年10月24日月曜日

インド旅行記2

バラナシの空港からは乗り合いのワゴンとオートリキシャで安宿の点在する
旧市街を目指す。

うすうすは気づいていたのだかこの辺から核心に変わった事がある。

インド人の英語が全く聞き取れない。
訛りがキツいのである。

もともと僕の英語なんて、サーフィンをやった事がある位のレベルであり
言葉なんて大した問題ではないが苦労はする。


空港から旧市街への道のりはまさにカオスであった。

裸足、裸、廃れた商店、砂埃、悪路
よくあるアジアの風景にも見えたのだが、何かが違った。
ここがインドであると言う先入観だからか、心のドアがだんだん閉まっていく感覚。

途中でバンからオートリキシャに乗り換える。
原付の馬車にみたいな乗り物。タイで言うトゥクトゥク。

これまたアジアでは良くある事だと思うが交通ルールが一切無い。

車線なんて感覚がほぼ無いから、空いている所を見つけては我先に爆音のクラクションを
鳴らして突っ込んで行く。

これまたアジアでは良くある事だと思うが、ここにインド特有の物体が絡んでくる。

牛。ヒンドゥー教の神様。

ヤツらは牛を食べないし、殺さない。

だから街には野牛が腐るほどいる。

無秩序に運転するから、どこかで流れが悪くなる。
そこに牛が平然と居座るから結果ぶっ詰まって一歩も進めなくなる。

おまえが悪いとか罵声を浴びせながらクラクションを鳴らしまくる。
ドライバーは平気でどっかいってしまい、暇そうな東洋人を見過ごす事無く
物乞いや物売りに囲まれる。

もう頭が狂いそうだった。

そして僕の心は完全なるシャッター通りへと化した。

2011年10月18日火曜日

トレイルラン

仕事でトレイルランのイベントに参加した。

トレイルランとは山の中を走る遊び。

やってみたいけど、どうやっていいか分からない。
そんなビギナーさん向けのイベント。

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皆様それぞれ目標をもって参加していた。

中でも60歳になる女性の方は出たい大会があるので頑張るといって
何度も転びながら必死に走っていた。

すごくポジティブなエネルギーを頂けた素晴らしい機会になりました。

どうもありがとうごございました。

2011年9月10日土曜日

インド旅行記

今年に入って無性にインドが気になっていた。

理由は分からない。ただむしょ~に気になっていた。

そしてなんやかんやでチャンスが巡ってきて行くことにした。

計4回も茗荷谷のビザセンターに通い、出国の前日に無事ビザがおりた。

成田~バンコク~デリー。

成田~バンコクの飛行機では完全にベテラン風を吹かしていた。
CAのタイ人と軽く談笑しちゃったり、となりの大学生に入国カードの書き方を教えてあげたりとベテランパッカー気取りだ。

大学生「いや~助かりました。ちなみに何処行くんすか?」

オレ「いや~ちょっとインドまで」

大学生「マジすか~!!かっこいい!!」
「ちなみに俺たちはムエタイしながら夜は豪遊しようと思ってるんすよ~」

オレ「あ~そーなんだ」

内心・・・羨ましい!!!!!!!!
オレもタイで降りタイーーーー!!!


そう・・オレは完全にインドにビビっているのである。


なんせ地球の歩き方インドは分厚い。
インドが広いと言うのもあるが、詐欺られた、無理やりツアーを組まされた、
タクシーに変な所につれていかれた・・・下痢が止まらず死にかけた・・・・
とにかくトラブル関係の書く込みが多いのだ。

CAのサワディーカップに萌えながら、バンコク~デリーのボーディングゲートを
目指す。

しかし・・・そこは・・・・インド人の山・・・・・

黒くて、目がでかくで、オイリーな量産型インディアンが山の様にいる。

東洋人どころか西洋人すらいない。

とにかく荷物を必死に抱えながら搭乗を待つ。

そして量産型インド人とカリスマびびりの東洋人をのせた飛行機はデリーへ旅立つ。


▼インディラ・ガンディー国際空港。

インド空の玄関口だ。

夜10:00、ボクはココに舞い降りた。
今日はココで野宿して朝一の飛行機でバラナシへ向かう。

なぜ野宿かと言うと夜の移動手段はタクシーかオートリキシャしかなく
それは詐欺師たちのフィールドであり巨人軍の中に女子アナを放り込む位
とても危険なのである。

そしてボクにはある使命があるのである。

それは下痢の薬を手に入れる事。

諸説によるとインドの下痢はインドの薬でしか治らないらしく
早めにゲットしておくのがベターらしい。

早速、空港の薬局へ向かう。

Diarrhea Medicine(下痢薬)

読めなかったのでメモ帳にデカデカと書き店員に指差す。

オレ「プリーズ」

店員「下痢薬か!ちょっとまってろ・・ごそごそ・・・」
「コレとコレだ」

オレ「一回に何粒のむんですか?」

店員「コレは一粒でこれは二か三粒だ」

オレ「一日に何回飲むんですか?」

店員「コレは朝・昼・晩でコレは朝と昼だ!」

オレ「・・・ちょっとまて!!朝と夜は聞いたことあるけど、朝と昼って何だ!!
夜のむとどーなるんだ!!!」

店員「でも、そうゆうモンなんだ。」

オレ「オーケー・・両方くれ!!」

さすがインド訳分からん・・・

たぶんつづく。

2010年8月20日金曜日

夏の思い出1

久しぶりの更新。

私、噂通りの三日坊主です。
と言うのも、デジカメの取り込みようUSBを無くし(これ得意♪)

カードリーダーを買ってくれば良いもののめんどくさがり行かず(コレ得意♪)

もう夏終わっちゃうジャンと気づきあせる様に更新します。

▼まず夏言えば海ですね!!


週一位で海にTrip。

ホームは大洗、時々エメラルド。

海に行く時は、らぞくを良く聞いていた。

特にJoy Streem。
なんかモチベーションUpする感じが心地良ス。


テイクオフは安定してきたが、まだ上手く横に滑れないのが課題。
それでも何度かロングライドの快感を頂ました。

ビックウェーブとロングライド、サーフィンの2大快感だと思います。
度が過ぎるビックウェーブを嫌う人がいても、ロングライドを嫌う人は
中谷 美紀を嫌う女性位少ないと思う。


目の前にある水の壁

豆腐に包丁をいれる様な
足の裏を伝ってくるフィンが水を切る感覚

あふれるアドレナリン

こんな感覚を知っちまったらもう後の祭りです。

とりあえずボードが欲しい。。。。


▼そして海の帰りに甲子園予選を何回か見にいった。


熱い、熱かった。

夏に昼間から野球なんて過酷極まりないと思う。
でもそこが高校野球の魅力の一つだとも思う。

予選だと強豪高と普通の高校がぶつかる訳で、野球のレベルもそうだが
応援団の数も違う。

フレフレガールのガッキーの影響か全員女子の高校もいた。

プレイより攻撃でも守備でも応援しまくる応援団にグッきた。
そしてチアリーダーには如何しても目が行ってしまう。



結果がどうであれ全力でファイトするのはホントにカッコいいし
胸打たれる。

自分もうだうだ行ってないで頑張んなくては。