去年のまだあまり寒くない季節、
いや、けっこう暑くて、しかし今日も脇くっせーなーと思っていた時期
出勤前に車でタバコをふかしながらTwitterを見ていると、気になるtweetが目に入った。
「Blankey jet cityドキュメンタリー映画公開!!」
ウソだろって思った。
だって10年前に解散してるし、そもそもなんで今?
疑問しかなくて半信半疑どころか全く信用していなかった。
でもなんの巡り合わせか、今日この作品を見てきた。
「Vaanishing Point」
解散発表後のラストツアーのドキュメンタリームービー。
僕がBlankey Jet Cityを知ったのは15年前、中学の時だ。
当時、20471120やMilk Boy等のドメスティックモードが流行していた。
Smartが創刊されたのもこの年だ。
そして、たしか創刊号の表紙がギターの浅井健一だった。 ファッションや音楽にませていた友達とその話をしているとCDもってるんで貸してくれると言うのだ。 そんで数枚貸してくれたんだけど、最初に目にしたアートワークに度肝をぬかれた。
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こんなの女子に見られたら、ホモか変態だと思われて次の日からシカトされて
あいつマジきもいとか授業中に手紙まわされちゃうじゃん!!
先生に見られたら、親よばれて
「最近お子さん情緒が不安定ですが家庭で何か問題でもあるんですか?」って即三者面談になっちゃうじゃん!!
内申書には不穏分子だと書かれてどこの高校にも行けずに、中学でたら就職するんだと、泣きながら家に帰ってコソッとヘッドフォンで聞いてみる。
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なんだか良くわからない
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最初ロックなんてそんなもんでしょ。
でもとにかく歌詞が耳に心に残った。
「寝る前にブルーのジェット機に乗る夢を見たいと願う」
「俺の憧れアラスカ帰りのチェーンソー」
「魅力的なお前のその白い足にミートソースをぶっかける」
「消えてくれないか俺の前から今すぐ、死ぬほどお前を愛しているから」
とにかく今まで聞いたこともない歌詞がばっかりで、
毎日学校で あの歌の歌詞がヤバイとか、あれはこう言う事だろうとか
昨日の27時間テレビで上原多香子ちゃんの胸元がガッツリ見えたとか とにかくそんな話ばっかりしていた。
今でもブランキーの話をすると歌詞の話によくなる。
まるで映画の字幕を読んでいるような。
デビュー当時は歌詞がロックっぽくないとかでよく批判されたらしいが昔インタビューで「音楽は自由だから歌いたいように歌えばいんじゃん、歌詞に意味なんてないよ。思いつた事を書いてるだけ」って言ってて深く感銘した記憶がある。
意味なんていらないよね。
聞いた人が勝手に意味を付けるしそれが真実だし。
しばらくするとがっつりブランキーにハマっていた。
音楽、ルックス、歌詞、アートワーク、すべが震えるくらいカッコよかった。
24時間考えていたし、授業中はひたすらノートに歌詞を書き写していた。
初めて音楽に心からハマってしまったのだ。
誰かにはそれがビートルズかもしれないし、ブルーハーツかもしれないけど僕にはブランキーだった。
アルバムも買ったり、レンタルしてすべて聞いたしテレビに出るときはすべて録画していた。
衝動が生まれた。
弾いてみたい。猛烈にギターが弾きたくなったのだ。
メインで使っていた赤のグレッチ、テネシーローズが死ぬほどカッコよかった。
まーまーの人が中学生ぐらいでギターを始める確率が高いが僕もその統計の%にカウントされる事になる。
買ったのだギターを、中坊の資金源、お年玉で。
グレッチなんて高すぎて今でも買えないから、少しでも形の似ているグレコのセミアコを選んだ。 十五年たっているけど今でも使っている。
ブランキーの曲はとにかく難しいから簡単なワンフレーズを永遠と繰り返し繰り返し弾いては悦にひたる。
そんな日々を贈る中で新譜がリリースされる。
「ロメオの心臓」 またブランキーらしいタイトルだ。 新譜がリリースされるとツアーが組まれる。 あぁ・・・行きたい・・・ 行動力のあるツレが親に頼んでチケットをとってくれた、中ニの春か夏か秋に生まれて始めて音楽のliveにくことになった。
これは大事件だ。
なんせ生まれて始めてliveに行くんだ。 日比谷野外音楽堂 鮮明に覚えている。 何を着ていったか、電車でどんな話をしたか、何処に寄ったか、何を食べたか。帰りに土砂降りにあってびしょびしょで帰ったとか。 でもliveは全然覚えていない。 何の曲をやったのだろうか。 でも紫のスモークの中で演奏している三人の姿だけは強烈に覚えている。
カッコよかった。
本当にかっこっよかった。
あの衝動は全く色あせていない。
残念ながら生でブランキーを見たのはこれが最初で最後だった。 今でも生でLiveを見た事は誇りだし自慢だ。 僕の世代ではほとんど生で見た人はいないのだ。
これだけハマっても流行に敏感な年頃で高校にはいったころからだんだん聞かなくなっていた。 新しく知った、hip hopとかメロコアにハマっていったのだ。なんとなく世間、いや身内、いや自分の中でロックはもうダサいと思っていったのだ。 ピチピチのデニムにdrマーチンをはいていたのがいつの間にかオーバーサイズの服をきてキャップが斜めになっていた。 それでもこっそりブランキーは聞いていたのだ。
たしか高2の春か晩冬だったと思う。バイトの休憩中、社員が休憩中に向かいで新聞を読んでいた。 ふと目をやると見開き1ページでデカデカと 「解散」の文字が目に入った。 ブランキーは新聞広告で解散を発表したのだ。
その頃は、僕はやってきたぞ山嵐登場、片っ端からなぎ倒していたのでブランキーはほとんど聞いていなく、特別な感情はそれほど無かった。 無論ラストツアーに行くようなモチベーションも無かったのだ。 惜しまれつつも、僕の中ではひっそりと解散していったのだ。
20歳を超えたくらいからまた聴き始めていた。きっかけは覚えてない、多分なんとなくだ。 人並みの色々な経験をして改めてきいた曲は詞は信じられない位素晴らしかった。
blankey市長が率いるjet city、その中で起こる様々な物語。
自由を求めた。
少年の心を求めた。
憧れの自分を求めた。
みんなjet cityの住人なのだ。 スクリーンの中で久しぶりに三人に会った。
何度も鳥肌がたった。 鳥肌はウソをつかない。